前日から出現した、排尿困難を主訴に当院受診された10代の女性。排尿困難というフレーズからは通常尿意を模様して排尿しようとするもなかなか出ない、という意味合いになりますが、10代の女性で基礎疾患が無く、発症してまだ1日もたっていない事からして、尿閉とは考えにくく、急性膀胱炎による膀胱刺激症状からの排尿困難感では?と考えて診察に臨みました。仰臥位の状態で理学的所見を取ってみると、下腹部が膨満状態となっており、触れると圧痛が著明でした。
膀胱エコー像:パンパンに張った膀胱。尿が大量に貯留しており、いわゆる尿閉状態。
すぐさまエコーを当ててみると膀胱内は尿の貯留で緊満状態となっており、また膀胱後面にはエコー上high echoic lesion(高照度領域)が認められており、脂肪成分を多く含む腫瘤性病変と判明しました。子宮ではなく位置的に右卵巣嚢腫であると考えられました。大きさは55.6×43.8×31.7mm大で、それなりの大きさではあったものの、尿道に浸潤していたり尿道を圧排してのいわゆる尿路の通過障害をきたすほどの影響は及ぼしていないと思われました。なので、尿閉となる原疾患がはっきりしない状況でしたが、まずは尿閉で膀胱がパンパンなので苦しい状況から解放してあげるべく12Frサフィードネラトンを尿道から膀胱内まで挿入して導尿することとしました。導尿量は約650mlで、MDV(最大尿意)はだいたい300-500mlですからかなり苦しかったと思われます。
膀胱後面に存在する高照度エコー領域:脂肪成分を多く含んでいる、右卵巣嚢腫と考えられました。
基礎疾患が無く、急性で尿閉をきたす疾患としては、尿道結石が鑑別診断として上位に挙がってきますが、実はもう一つ、そんなに頻度は高くはありませんが帯状疱疹が排尿反射を司っている仙髄神経(S2-4領域)を侵してしまうと排尿障害をきたし、今回の様な尿閉を起こしてしまいます。しかし、診察時にはそのような皮疹、発疹、水疱形成は認められず。ますます尿閉の原因ははっきりせず。自己導尿やカテーテル留置も検討はしましたが、一過性の尿閉である可能性もあり、またお若い女性にいきなりカテーテルを留置したり、自己導尿指導をするのもどうかと思い、尿道を広げて排尿しやすくするα-1ブロッカーを処方し、また骨盤内に存在する腫瘤性病変の精査目的にCT撮影をオーダーして、後日再診とし経過観察としました。ところが、当院受診後付き添いで来られていたお母さんから数日後クリニックに連絡があり、当院受診した翌日にも尿閉となってしまい、休日であったため他院でカテーテル留置されたとの事。しかし、その後意識障害をきたし病院に救急搬送もされたとの事でした。意識障害??尿閉から意識障害って??腎後性腎不全による尿毒症からの意識障害??いや、そんなにすぐにはならないだろうに・・・・。では、いったい何が原因で??結局救急搬送先の病院で脳のMRIを施行したところ、脳幹・脳室表面の異常信号があり、脳炎と考えられたため、髄液検査を施行したところ髄液細胞数増多を認めていたとのこと。脳神経外科では、数日前に同様の経過をたどった患者さんで抗NMDA抗体産生卵巣嚢腫を経験した経緯があり、婦人科で卵巣嚢腫摘除術を緊急で行われたそうです。
骨盤部CT画像:エコー上認められていた右卵巣嚢腫。エコー同様CT値からも脂肪成分が主体となっている腫瘍であることがわかります。
一刻も早く自己抗体を産生する腫瘍を摘出して抗体産生を抑制する意味合いがあった様です。結局摘出標本からの病理学的な診断は卵巣成熟奇形腫(中には皮脂腺や毛嚢などの皮膚成分、軟骨成分や神経細胞、そして毛髪を伴う充実性成分も認めていたようです)であったようですが、肝心の抗NMDA受容体抗体を始め、MOG抗体、アクアポリン4抗体などの自己免疫抗体はいずれも陰性であったため確定診断には至らなかった様ですが、臨床的に抗体陰性の自己免疫性脳炎(腫瘍随伴性脳炎)との判断になったそうです。治療法としては免疫グロブリン大量静注療法、ステロイドパルス療法などを施行され、リハビリ後なんとか退院されたとの事でした。
脳MRI画像:脳室周囲の異常信号。脳炎の所見。
退院後、患者さんとお電話でお話ししましたが、かなり筋力が低下して歩行困難なため、外来でのリハビリを継続されているとの事でした。排尿状態もしばらくは自己導尿が必要であった様ですが、今現在はα-1ブロッカーの継続をしながらも自排尿が可能となっているとの事でした。電話越しからの声は明るく、元気な様子でしたのでほっとしました。また、楽しく学校生活が送れる日が早く訪れる事を願っています。
尿閉というと、大半は男性の前立腺肥大症がベースにある方が、アルコール摂取や風邪薬、抗アレルギー剤、向精神薬などを服用された際に起こるケースが多い中で、若年女性の卵巣嚢腫(奇形腫)からの自己免疫性脳炎による尿閉を発症した貴重な症例を経験させて頂きました。